パーフェクトデイズとは何か?

先日のブログで『脳が読みたくなるストーリーの書き方』(リサ・クロン、府川由美恵:訳/フィルムアート社)から引用した言葉から、今日は始めてみる。

作家は自分のキャラクターの目を通じ、ただ人生というものを垣間見せるだけで、人々の考えを変えてしまうこともできる。

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週末に見た、役所広司主演の映画『PERFECT DAYS』が、まさに主人公の目を通して「今、ここ」を生きる感覚を与えてくれる作品だった。

都内の公共トイレを掃除してまわる仕事に就く主人公(役所広司)。朝目覚め、仕事に行き、文庫を読みながら眠りにつくーー穏やかに循環する彼の生活は、時にまわりから持ち込まれる厄介ごとで乱れる。

主人公は無口で不思議な雰囲気をまとう男であるが、悟りを開いたパーフェクトマンとして描かれるわけではなく、時に苛立ち、衝撃に打ちひしがれ、過去の傷を垣間見せる。

何をもってパーフェクトデイズとするのか、その答えに正解はないのだろうけど、個人的に「嵐が過ぎ去ったあと、少しずつ調子を戻しながらまた自分の生活に戻っていく主人公の姿」が、やけに胸を熱くした。

パーフェクトデイズとは、すべてが思い通りにいく日々ではなく、自分軸を持って生きる、ということなのかもしれない。

印象的なセリフに「今は今、今度は今度」というのがある。今度という言葉をはぐらかすために使っているのではなく、今ある時間に目を向けてごらんよ、という温もりを感じさせる言葉だ。

禅的発想、というのに近いのか、倍速だタイパだというせわしない時代で、心が整うスローテンポな作品である。

映画鑑賞後、長風呂しながら『脳が読みたくなるストーリーの書き方』の続きを読んでいると、こんな言葉に出会う

読者が物語のなかで感じることは、主人公が感じていることに触発されるということだ。物語は本能で感じるものだ。

今ある環境のなかで淡々と自分を生きる、ということ。憑き物が落ちたように、澄んだ気持ちにさせてくれる作品だった。