金曜日だ。これから仕事をはじめるのだが、すでに気持ちは週末に向かっている。
今晩は夫と回る寿司を食べにいく予定で、コンタクトレンズを入れる。コロナをきっかけに在宅勤務が定着して、平日はメガネで過ごすことが増えた。
とはいえ、圧倒的にコンタクトレンズがラクだ。しかし誰にも会わず、うちでPCとにらめっこして過ごす日にワンデーレンズを消費するのはもったいない気がする。
角に丸みを帯びた広めのスクエアレンズと、太めのブラウンフレーム。購入当時はお洒落だと思ったが、鏡に映るのは野暮ったさ全開の私だ。ケチって最安値のレンズだから、つけ心地がいいとも言えない。
(メガネの名誉のために一応補足。野暮ったいのはモサッた髪、よれた部屋着姿のせいもある)
最近では出かける週末、メイクとセットでコンタクトレンズをつけることが増え、ますますメガネをかけた自分が、人様には見せられない姿のような気がしてくる。
しかし、自分でイケていないと思うメガネ姿で過ごすほうが、コンタクトよりも圧倒的に多い生活というのはいかがなものだろう……。
あんなに高く跳べていたノミが、実験で瓶に閉じ込められると、開放されてからも瓶の高さまでしか跳べなくなるみたいなことが、メガネ姿でも起こりうる気がしてきた。
日本経済新聞の夕刊に、「こころの玉手箱」という連載エッセイがある。執筆者が次々と変わり、こころにしまった宝物にまつわるエピソードを披露するシリーズだ。
先週、作家のあさのあつこが数回に渡り担当していて、その中に眼鏡のエピソードがあった。ずっと目がよかった彼女も年には敵わず、老眼鏡を初めてつけたときの感動を綴っている。
それに、眼鏡をかけた自分の顔は、フレームの明るさのせいか、華やいで見えました。わたしなりの華やかさではありましたが、わたしがわたしのビフォーよりアフターを気に入ったのは事実です。
あさのあつこ「初めての老眼鏡」こころの玉手箱より
鏡を見て、自分の姿を素敵に思えるって大切なことかもしれない。
コンタクトレンズの節約のためでなく、鏡を見てうれしくなるメガネを探したいものだ。