今朝のテレビで、8月8日は親孝行の日と言っていた。
8(はち)と8(はち)を並べ替えると、「はは」と「ちち」になるからというまさかのアナグラム方式。それくらいの気さくさで記念日にあふれる毎日というのも良いかもしれない。
だけど、現実はやたらめったらモヤモヤしている人のほうが多そうだ。私もつい記事を踏んでしまうのがいけないんだろうけど、不倫DV夫や意地悪な義母、人の男を奪うヤバイ女たちがやりたい放題した後に悲惨な末路を迎えるスカッと系体験談、というテイのフィクションの多いこと。
今朝読んだのなんか、性悪な実の妹に旦那を奪われる話。まあ、旦那も旦那でクズの浮気野郎で、別れて正解なんですけど。
妹と浮気男は再婚するけど、そこに待っていたのは……。ふたりのざまあな展開を見届けたサレ妻はひとこと、「(これからは)充実した日々を送る予定です♪」
いつもは読んだことも忘れてしまうくらいなのに、この言葉がやけにゾッとして記憶に残っちゃったんだよな。
だって、いくら最低のふたりが最悪の結末を迎えたところで、サレ妻がやられたこと、傷ついたことが消えてなくなるわけではないでしょ? なのになぜ、相手らが不幸になったからといって、これからは充実した日々を送る予定という思考になるのか。
もちろん、自分の人生でマイナスにしかならない相手のことはさっさと忘れて、前を向いていこうというポジティブ思考ならいいのだけれど、この手の文脈からは、ちゃんと相手らが制裁を受けたから私は満足です、というニュアンスをどうしても受け取ってしまう。
ちなみに今朝は、相手を「許す」ことが、自分の「救い」につながるわけではないという米国心理学者の言葉を元にした記事も読んだ(クーリエ・ジャポンの「相手を「すぐに許さない」ほうが「より健康的な前進ができる」理由とは?」)。
この場合では「相手を許すこと」だけれども、結局、自分を癒し、救うのに相手がどうなろうが関係はないということだ。
自分を傷つけた相手が成敗されたらそりゃ少しは慰めになるかもしれないが、現実はそんなに単純じゃないし、不条理の多い世界である。
この手の体験談系フィクションや漫画が増えているというのは、その不条理世界への憤懣が人々に溜まっている証拠なのかもしれない……と、いろいろ考えてしまった。
それにしても朝からスマホを見過ぎである。私こそ人より自分を生きろ!!!(反省)