週末にホアキン・フェニックス主演『ジョーカー』の続編、フォリ・ア・ドゥを観てきた。正直、思っていたのと違った。
ミュージカル・ムービーといっていい構成で、レディー・ガガの歌唱力は圧巻。
だけど、やっぱり自分が続編に求めていたものとはズレていて、壮大なMVを良い音質と大画面で見てきたみたいなふわふわした気持ちで映画館を出たのだった。
ホアキンの煙草を吸う姿がものすごく格好良かったくらいの感想で、観終わった直後はひとまとまりの文章にできそうになかった。
今朝、新聞のスクラップノートを何となしにぺらぺら見返していて、フォリ・ア・ドゥの紹介記事が目に止まる。映画を観に行く前に読んで取っておいたものだ。
見出しは「伝染する狂気、悲しい余韻」。
見終わった今なら、それがすべてだったと分かる。
記事の中で「フォリ・ア・ドゥ」の意味が解説されていた。日本語で言うなら「二人狂い」。一人の妄想がもう一人に感染すること。
精神科医、春日武彦の『屋根裏に誰かいるんですよ:都市伝説の精神病理』を、ふと思い出す。奥さんの妄想に、夫が巻き込まれるエピソードがあった。
奥さんが入院するまで、二人は宇宙語で会話をしていた。離れて暮らすことで夫は正気を取り戻すのだが、この宇宙語を最初に話し出したのは夫のほうだったというのが興味深い。
フォリ・ア・ドゥでは、監獄にいるジョーカーことアーサーが、ひとりの女性(レディー・ガガ)と出会い、恋をすることで不気味な歯車が動き出す。
二人という最小単位の集団狂気は、確かに前作より濃密で、にもかかわらず虚しくて、少し時間を置いてみると監督の意図する部分を掴めそうな気がしてくる。
狂気ってものはその正体に実態がなく、やっつけようがないから恐ろしいのかもしれない。