ミステリーで「実は女性が犯人でした」が意外な結末になる理由

ミステリーにおいて、意外な犯人が「実は女性だった」パターンってままあるじゃないですか。

どうして真犯人が女性というだけで意外な結末になるんだろうって、物語をまるっと置き去りにして、ちょっと過激なことを考えた。

その背景には、むしろこのどうして女が、男が~みたいな話に、モヤッとした体験がある。

ロールモデルと差別って違くない?

結構前の話になるが、某コマーシャルで、働く人たちのセリフだけがいくつか表示されて「今、どっちの性別で思い浮かべた? 知らないうちに差別してるかも」というのがあった。普段テレビを見ない私が知っているくらいだから、結構有名だと思う。

これを初めて見たとき、不意打ちで平手打ちされた気分になった。いつからロールモデルを抱くことが、差別になったんだ?

平等とか、マイノリティに優しい世界とか、よりよい世界に先導しているようで、受け取り手のことを置き去りにしているように感じるのは卑屈だろうか。

今の時代、こうして「作られる差別」というのもある気がする。

性別ではなく人間の思い込みを利用して生まれる意外さ

そう思うと、「どうして真犯人が女性というだけで意外な結末になるんだろう」という疑問は、切り取り方に問題があるかもしれない。

人間の思い込みや考え方の歪みを利用して生まれる意外さであり、「女性だから」ではないのだ。真犯人が誰それでしたという結末は、性別ではなくキャラクターで語られるべき部分だろう。

あたかも男性による犯行というミスリードが、実は女性だったという意外性をもたらす。少なからず性別による社会的役割やイメージは加わるだろうが、それを差別とはいわないはずである。