昨日読んだイヤミス系の小説のなかで、ブログの更新を毎日欠かさず云十年という女性が出てきた。
読者数もアクセス数も指で数えられるほど。それでも彼女にとって、何十年も毎日更新を続けてきたこと、……「続けてきたことだけ」が自慢、というイヤ~な描かれ方をしていた。
このブログを毎日更新し始めて、5ヶ月近く。彼女の物語に触発されて、自分が毎日更新を続ける理由を考えてみようと思う。
毎日更新は続けるけど、連続更新日数にはこだわらない
ひとつ、私は毎日更新をこれからも続けるつもりだ。
ただ連続更新日数にこだわるつもりはない。この5ヶ月は、何事もなく更新してこれたけれど、高熱を出して寝込むとか、人生の一大事級のトラブルとか、ブログどころじゃない日には潔くルーティンを崩す。
ブログがあるから何気ない日常に「気づける」ようになった
始めてみるまで、私はどちらかというと毎日更新に懐疑的だった。
最初は純粋に書きたいことをブログにアップしていたとしても、毎日更新に囚われて「ブログのネタになるか? ならないか?」の基準でしか目の前のことを選択できなくなるのではないかと思ったからだ。
でも実際は、ブログがあるからこそ、ネタになるような日常の何気ない出来事や感情に気づけるようになった。……ということに、気づいた。
思うだけで過ぎ去り、あっという間に忘れてしまうような何気ないことを言語化して切り取る行為は、むしろ生活に彩りを足してくれているように思う。
ブログの向こう側、私とよく似た「ひとり」に向けて
私は何も特別な存在ではなくて、社会にありふれた「ひとり」である。
だから、私の感情が動いたところには、共感あるいはその逆を感じる他者がいると思う。ブログの向こうに、たくさんの「ひとり」がいる。
ただ、小説のなかの彼女にドキッとしたのは、毎日更新を自慢に思っている彼女が、とても孤独そうだったからだ。
毎日更新へのこだわりもそうだけれど、ブログに毎日自分のことを書くのと、自分の感じたことを書くのは、似ていて非なるものなのかもしれない。
ブログの向こうに、私とよく似た「ひとり」がいるはずだと、モールス信号を送るような気持ちで、明日からも更新していこうと思う。