今日は、こんな引用からはじめてみよう。
私はまた、神というものについて、その本質を見誤っていたことに気がつかざるを得なかった。神は残忍で、常に犠牲を求めるものだということをである。
西村京太郎の因習島を舞台にしたサスペンスフルな短編「南神威島」より。
今朝、家計簿から顔を上げて、思わず天を仰ぎたくなった。神よ。ギリギリ生きていけることを感謝するべきか、嘆くべきなのか。
来年のテーマを作るなら、ずばり「お金」だな。
1年のはじまりって、何かしら目標を立ててやる気に燃える人が多いと思うけど、私自身は12月中旬あたりが特に盛り上がっている気がする。
来年に向けての高揚感が高まりつつ、「わざわざ新年をスタートにしないで、今から始めればちょっとリードじゃん」というフライングな気持ちであれこれ考えるのが好きだ。
Kindle Unlimitedで節約に関するコミックエッセイが目に止まり、サクッと読んでみる。低所得だけど楽しく節約して、趣味の旅行にも出掛けちゃう! というファミリーを描いた作品だった。
毎日楽しそうに描かれてはいるけれど、やはり所得が少ないことの苦労も多いだろう……と裏側を考えてしまう。良い面が強調されがちなSNSと一緒だ(逆も然り)。
けれど、節約生活を「かわいそう」「大変そう」という世間のイメージに対して、いやいや「すべては楽しく生きるため」にやっていることだよ、という著者の言葉は、手帳に書き写すくらいには印象深く残った。
他人がどう感じようと、暮らしそのものに影響はちっとも出ない。節約を貧しいと感じるも、楽しいと感じるも、本人とその家族次第である。
消費で考えれば簡単で、何かを欲しいと思えば、その分お金が出ていく。お金を手元に置いておきたいのなら、何かを我慢する。
とてもシンプルなことに、毎年頭を悩ませている。何にお金を使ったら自分は満足するのか、見つめ直しが大切だな。