「ずっと書いてみたかった」私のことを書くブログ

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日記の延長として開設して、300記事が見えてきた本ブログ(夜明けのマックで号泣した日もあった)について、ChatGPTと考えてみた。

人気記事のタイトルやプロフィール文などの情報を渡して尋ねてみると、「読書、創作、モーニングページ、ChatGPTなどのテーマでアウトプットとインプットが地続きになっている」「書くこと・考えることが好きな人に好まれそう」。

一方で、読者目線での入口がぼんやりとしている。要するに「どんなブログか?」が曖昧という指摘は、まさにその通りでぐうの音も出ない。

売るためでなく、パーソナルなことを書きたいと思った

初心に立ち返ると、「売る(収益化)」ためのブログではなくて、もっと個人的で、心が動いたことなどを記録していきたいと思っていた。

そして、「自分を出す」とするなら、方向性としては「創造的に生きることを目的としたブログ(創造的生活の記録)」ということになるかもしれない。

ChatGPTの言葉を借りてちょっとカッコよく言ってしまったが、自分の中心にはずっと「(作品を)書きたい」という、無視できない気持ちがあったからだ。

じゃあ、「作品を」書くしかないんじゃないか?

「自分自身で創造的になるにはどうすればいいか?」をテーマにした本がある。ジュリア・キャメロンの『ずっとやりたかったことを、やりなさい。』という世界的ベストセラーで、著者がモーニングページ(朝、手書きで3ページ書くこと)の生みの親でもある。

最近、3度目の再読を試みたところ、自分でも驚くほど「そういうことだったのか……!」と内容が刺さる。刺さりまくる。

たとえば、すべてが代償行為とはいわないけれど、「書きたい」という気持ちに素直になれなくて、ライターの仕事や趣味のブログをしていたのかもしれない、ということに気づいてしまった。

自分の本当に好きなことではなく、それに近いものや関連したものに取り組むこと。創造的に生きたいのに「私なんて……」と諦めている人に多い傾向なのだという。

the-day-i-cried.com

7月22日締切のnote創作大賞に2万字以上の短編小説をエントリーする

ブログは好きだ。

好きだけど、自分の「書きたい」気持ちを満足させるには、実際に作品を書くしかない。

「書くしかない」と思ったその日に、note創作大賞2025の募集が始まった。

こういうのをシンクロニシティと呼ぶのかもしれない。出すというのはもちろんだけど、締切までに「書ききる」ことが何よりの目標。

そしてこのブログには「ずっと書いてみたかった」自分のこと、その過程をつらつらと書いてきたいと思う。

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