
普段、距離を置いている実家のトラブルに巻き込まれて、思ったよりもずっとずっと疲弊してしまった。
物理的にも離れていて通話や文面でのやり取りだけなのに、スマートフォンに新しい通知が届いてはいないかと胸がドキドキとして連日眠りが浅い。
一度出奔した身だし、無関心といえるほど実家の現状を把握していなかったのだけど、妹たちの動揺に「何とかしないと」という長女の義務感みたいなものが顔を出す。
なぜ自分が家を出るに至ったかも忘れて、なんとか妹たちの言い分を母に伝えようと苦心する。
言葉を尽くせば尽くすほど、それは「正論」になっていくのが止められない。余裕のない母がそれを受け入れられるはずもなく、表面上の平和がやすりで少しずつ削られていくような不快。
ああ、やっぱり分かり合えないのよねという無力感がじわっと広がって、以前のようにすべて投げ出したくなってしまう。
つくづく、家族とは何だろうと思う。そばにはいたくないけれど、遠く離れているところで笑っていてくれていたらいいなという気持ちも嘘じゃない。
そんな疲弊しているなかで思いがけず触れた、家族は諦め合えたときに割と穏やかに暮らしていけるという三浦しをんのエッセイに、あたたかく抱きしめられる。
私は、「『家族』というのは、なんと努力と忍耐を要するつながりなのであろうか」とめまいを起こすことたびたびだった。(中略)だが二十年以上かけて、徐々にうまく機能しだしたかに見える家族との人間関係も、あと数年で終わりだ。弟はさっさと家を出ていくだろうし、親もいつまでも元気ではない。
いつかはバラバラになってしまうものだからこそ、私はこの家族を愛したいと思う。耐えがたく、替えがたい、私の家族を。(「耐えがたく替えがたいもの」)
母に、父に、分かってほしかった。
それを諦めるのは、悲しいことではなくて、むしろ心地よいことなのかもしれない。
写真は最近、隅田川沿いを散歩中に見つけた『君たちはどう生きるか』に出てくるみたいな鳥。陽が沈み始めると川沿いの風は心地よく、スカイツリーに向かってどこまでも歩いていきたくなる。
![([み]1-1)三四郎はそれから門を出た (ポプラ文庫 み 1-1) ([み]1-1)三四郎はそれから門を出た (ポプラ文庫 み 1-1)](https://m.media-amazon.com/images/I/51Yv7klNFWL._SL500_.jpg)