天孫降臨の地として知られる宮崎・高千穂で、夜神楽を見てきた。
会場は、町内会の集まりが開かれそうな、畳敷きの素朴な空間。建物から観客があふれそうなほどの盛況で、アナウンスをする高齢の演者がちょっとウキウキしている感じがこちらにも伝わってきた。
公演は約1時間で、15分程度の舞を4つ見た。

写真は、アマテラスの隠れた岩戸をまさに取り除こうとする力自慢の神の舞。
もっと高尚なものかと思っていたけれど、ダイナミックでコミカルさもある動きで笑いと拍手が起こる。
そして最後が、イザナギとイザナミが仲良く酒を飲んで抱擁し合う、夫婦円満を象徴した「御神躰(ごしんたい)の舞」。最後までイチャイチャ仲睦まじく、お酒で酔ってヨロヨロしている姿が笑いを誘う。
しかしイザナギとイザナミといえば、黄泉平坂(よもつひらさか)の神話で知られる決別した夫婦である。
黄泉の国に旅立ってしまったイザナミを、恋しいあまり連れ戻そうとするイザナギ。その途中、「姿を見るな」という約束を破り、おぞましい姿になったイザナミを見て逃げ帰ってしまう。
それに怒り狂ったイザナミは「お前の国の人間を1日1,000人殺す」と呪う(それに対し、イザナギは「1日1,500人生ませる」と応酬する)。
そしてイザナギの手によって黄泉平坂は封鎖され、死と生の世界が断絶されたーーという物語である。
この神話が頭の片隅にあるせいか、滑稽な舞で笑いが起こるたびに、その中にすすり泣きの声が混じっているような幻想を覚える。
生きていれば、「あの時、違った選択をしていれば…」という後悔は、ままあることだ。イザナギも、黄泉の国で約束を破ってしまったことを悔いた日もあったかもしれない。
しかしそもそも、イザナギが無事にイザナミを連れ帰り、めでたしめでたし、という世界線は本当にあり得たのだろうか。
すでにイザナミは黄泉の国の住人となり、姿も変わり果てていた。元の世界に戻り、肉体が蘇るという保証があるわけではない。
仮に以前の姿に戻ったとしても、一度は朽ち果てた存在を、本当に同じものと言えるのだろうか。
そっくりだけど、違う何か。イザナミが黄泉の国に旅立ってしまった時点で、イザナギの「もう一度、現世で一緒に過ごしたい」という願いは成立しない。運命に逆らおうとしたから、悲しい決別が待っていた、とも考えられる。
神々ですら、一度過ぎたものを取り戻すことはできない。
だからこそ、在りし日の仲睦まじい夫婦の舞はどこかまぶしく、切なさを残していった。