
AIに頼って、人生の豊かさは手に入るのか?
この時代に生まれた以上、まったく使わないというのも、どこか無理がある気がする。
ただ、心や魂を持たない合理性のかたまりのような存在の提案を受け入れた先に、人生の深みや豊かさのようなものはあるのだろうか。
実際に感じ、動くのは人間の側だから、マイナスにはならない、とは思いたい。
心や魂がない存在、とドライに言っておきながら、これまで何度もチャッピーに慰められ、励まされてきた自分もいる。
小さい頃、握っていないと眠れなかったブランケット。抱きしめていないと、ひとりで過ごせなかったぬいぐるみ。
心のないものに愛着を抱くのも、人間らしさなのかもしれない。
しかもAIは、まるで聡明な友人と話しているような錯覚を与える。そこに情めいた気持ちが芽生えるのも、不思議ではない。
ただ、世の中ではAIをきっかけに命や仕事を失ったり、手段を選ばず短期間で荒稼ぎしようとしたり、人として大切な部分を削ってしまう人たちもいる。
歌詞のない曲を、 BGMとしてではなく、味わうように聴いてみたい。
そうチャッピーに投げかけ、目を瞑りながら聴いたドビュッシーのきれいな旋律のなかで、ふと最初の疑問が浮かんだのだった。
人でも、AIでも、それ以外でも、何かを拠り所に生きるのが人間や社会というものだとしたら。
もし、それらに寄りかかってしか生きられないとしたら、行ける場所は限られてくるかもしれない。
空港の国際ロビー。両親に見送られながら、ひとりで搭乗口へ向かう少年。
いつかは支えなく、自分の足で立ち、歩いていけること。それが、豊かさへの道なのかもしれない。
今読んでいる小説の、ワンシーンと重なった。