呪詛、それは静かで邪悪な実力行使

少し前に、大河ドラマに関連した平安時代にまつわる特集番組を見た。

基本的に歴史は苦手意識のほうが強く、食事中に流れていた番組がそれだった、というくらいのスタンスだったのだけど、「呪詛」という言葉に意識が向く。

黒ずんだコケシのような木彫り人形が映し出され、実際の呪いで使われたものだという。そうと言われなくても禍々しさを感じる不気味な様相だ。

平安時代は呪詛の最盛期だったーー。オカルティック好きの血が疼きだして、平安時代の呪いにまつわる本を読みたくなった。さっそく図書館の公式サイトで、どストレートに「平安 呪い」で書籍検索をかけ、ヒットした1冊を予約手配しておく。

そして読んでみたのが、歴史民俗資料学の博士、繁田信一の『呪いの都 平安京 呪詛・呪術・陰陽師』。著者はこのほかにも陰陽師や貴族社会、安倍晴明に関する書籍を複数上梓している。

テレビ番組で見た通り、平安貴族たちにとって、呪詛は身近な出来事だったようだ。

血流を忌避する時代でもあり、競争相手を蹴落とす手段として呪詛が盛んに用いられたという。権力を持てば持つほど呪われる覚悟のいる人生だったわけだ。

だからこそ、当時の呪詛は強盗や殺人と並ぶ凶悪犯罪として見なされてきた。にも関わらず、呪詛が盛んに行われた背景には“血流を忌避する”風潮が関わってくる。

この時代ではどんな凶悪犯に対しても死刑の判決が下されたことはなく、強盗殺人犯であっても数年後には平然と娑婆に出られたという。記録に残っているスキャンダラスな呪詛の実行犯(陰陽師)にしても2年足らずで放免なのだから、まあ報酬が良ければ引き受けちゃうよねー。

呪詛、それは静かで邪悪な実力行使であった。

今の感覚でいうと、呪いで邪魔者を追い落とせるなら苦労はない……と思ってしまうけど、当時は立派な政争の手段であり、殺人と並ぶ凶悪犯罪のひとつだった、と。

うーん、もうちょっと突っ込んで調べてみたくもあるけれど、とりあえず1冊読んで満足かな。