
戦慄のストーカー小説を読んだ流れで、Kindleでずっと積読していた『屈折愛 あなたの隣りのストーカー』を読み始める。精神科医・春日武彦の本。
古典的ストーカーと現代的ストーカーの違いや、実際のストーカー事例などぞっとして興味をそそる内容が盛りだくさんなのだけど、特に印象的なのが「名前がつくこと」だ。
ストーカーという名称が提出されることによってはじめて、潜在的に多発していたケースが一挙に表面化してきたといった印象が強い。
例えば、<B級>という言葉。
B級という名付けがされたことで、それまでは「語るに値せず」と切り捨てられていたジャンルに、新しい価値や情熱が見いだされるきっかけになったという例は分かりやすい。
ストーカーといった言葉が登場したからこそ、被害者はその異様な状況を他者へ説明することが容易となった。
ストーカーについても、これまでコントロールできない異常な愛はあったけれども、この言葉が流布されることによって社会的な問題として取り上げられるようになった。
「名前がつくこと」は、「実体ができる」くらい大きな影響を持つということだ。
ストーカー話からは逸れるのだけど、最近「ホカンス」という言葉を知った。
コロナ禍に韓国で生まれた造語で、「ホテル」と「バカンス」を組み合わせたものだという。豪華な空間や充実したサービスなど、ホテルで非日常かつ贅沢な時間を過ごすことを目的とした言葉。
知った瞬間、自分のやってきたこと(これからも、やりたいこと)は、そのまんま「ホカンス」だと気づいてハッとなった。
ホカンスがしたい。
自分の想いを的確に表す名前がつくって、ちょっと感動的でもある。
追記。
そういえば、夏樹静子のエッセイで、日常にも仕事にも支障をきたすほどの目の痛みに悩まされているのに、眼科にいっても原因が分からないというのがあった。
のちのち、それが今でいうところの「ドライアイ」であると判明するのだけど、名前のないときの底知れない不安ったら。名付けの効用っていうのは、たしかにあるね。
