
作家になるのに、決まった手順があるとも思えませんが、まず本を読むこと、書いてみること、この二つに尽きるのではないでしょうか。
赤川次郎の本に『ぼくのミステリ作法』というのがある。創作にまつわるエッセイと実作の2部に分かれていて、前半に登場した「~~であればいいのに」という着想をもとに生まれた4作品を読むことができる。
どの作品も短くて、すごく印象に残るというわけじゃないのだけど、読んでいる間はずっとおもしろい。赤川次郎の作品が「映像的」「読みやすい」という理由が、エッセイと実作の両方で実感できる1冊だ。
久しぶりに読み返して、思ったことがふたつ。
まずは、にじみ出るクリスティー愛。
クリスティーの小説の登場人物が類型的であるとはよく言われるところですが、頑固な退役軍人にせよ、小生意気な小間使いにせよ、その一人一人が実に「生きて、動いて」います。これは類型でなく典型と呼ぶべきでしょう。
なぜクリスティー作品は単純なのに面白いのか。登場人物について<類型ではなく典型と呼ぶべき>という言葉が、胸にストンと落ちた。
退役軍人だから頑固親父だろう、という肉付けではなくて、退役軍人という典型タイプを舞台に投じる。だから、予測不能というストレスはなく、典型ならではの行動と反応で事件に関わっていく。
面白い物語にも、いくつかの型(パターン)があるのと一緒だ。ありふれて薄っぺらい人物像というのではなくて、典型を巧みに使いこなしていると思えば、クリスティー作品が時代を超えて愛され続けるのも納得である。
クリスティーに続く女流作家で、作風自体も似ているらしいモイーズの『雪と罪の季節』という作品を知る。読んでみたいけれど、神保町巡りするしかないみたいだ。
もうひとつは、赤川次郎の創作スタイルである。
僕は映画好きなので、大体頭の中で、書こうとする話を「映画化」しています。映画は、背景から天候、服装、総てが具体的に見えてしまいますから、まず映画にしてから文に書くという習慣を作っておくと、割合にイメージのはっきりした場面が書けるように思います。
登場人物も「配役」をして、イメージをはっきりさせるという話で、少し前に読み返した『小説家になって億を稼ごう』(松岡圭祐)を思い出さずにはいられなかった(今年に入って、再読ばっかりしている)。
この本の核である「想造」という創作方法が、まさに芸能人などの写真を引っ張ってきてまずキャスティングする。それから用意した舞台で、彼らがどう動くかを想像して物語を膨らませていく。
なんて革新的な本なんだと思ったけれど、もうずっと前からやっている大先生がいたわけだ。
書き手の数だけ創作スタイルがあるのは間違いなく、やっぱり教わるものではなくて、自分でやっていくなかで見つけたものが唯一の「書き方」なんだろう。

