
14時。日記みたいにつらつら書いてみる。
マンションの排水管清掃に立ち会うため、朝のうちに台所や風呂場を簡単に掃除しておいたら、昼を過ぎても左手の指先からハイターのにおいが消えない。
にこやかな男性作業員たちが、二手に分かれて手際よく作業し、10分もかからなかったと思う。下っているのか、上っているのか、作業順は、とっさに分からなかったけれど、サインをするボードの一覧は穴あきだらけだった。
今朝、モーニングページに使っている分厚いノートを使い切り、気まぐれにぱらぱらとページを戻っていたら、数か月前の自分の書き出しが新鮮に見えた。
不安を抱きしめすぎているよ。今まで注射がイヤでも、その場から逃げ出したことはないし、ずるずる怖がっているようじゃだめか。
『timelesz project』(通称タイプロ)は見ていなかったけど、終わり方が、当時流行っていた菊池風磨構文を思わせる。
なんだかんだ、モーニングページは書くだけ書いて読み返さないし(殴り書きすぎて読めないというのもある)、最近は、数冊たまったら資源ごみで処分する。
けれど、読み返すまでもなく、この最新の1冊の中には「不安」や「余白」、「マインドフルネス」といったテーマがあったように思う。毎日書いていく中で、自分の関心事がはっきりと輪郭を持ち始めたというか。
モーニングページの「朝書く習慣」が、マインドフルネスと根っこが同じなんじゃないかという気づきは、このブログでも書いた*1。そして、私がモーニングページをする動機というところに、「余白」が関わってくる。
たとえば理想の1日を考えたとき、何をするか、どの順番でするかというよりも、「どれだけ何もしないでいい余白をもてるか」のほうがよっぽど大事だと思うこの頃だ。
ヘルシーなルーティンを持つことは素敵なことだけど、誰かに素敵と思われることが人生の目的ではないし、むしろ何もない空っぽなところに飛び込んでくるものを待っているほうが、私は好きかもしれない。
これまで何冊もSNSで面白そうな作品を見つけて、共有してくれた読書家の人に感謝したけれど、誰かが「いいね」をしたものより、本屋に出かけてビビッと一目惚れした本を読んで愛したり失望したりするほうが、自分の人生という気がする。
「不安」でいうと、最近読んだ『お金の不安という幻想 一生働く時代で希望をつかむ8つの視点』(田内学/朝日新聞出版)。
老後2000万円問題といった将来のお金の不安は、投資や労働で個人的な資産を増やすだけでは根本的に解決しないこと。自分には関係のないと思っていた政治政策や社会問題にこそ、真剣に目を向ける価値があること。
お金が価値を持つためには、「働いてくれる誰か」が必要だという事実だ。
私たちの暮らしは、お金と引き換えに多くのサービスを受ける。つまり労働する人が減っていけば(少子高齢化問題)、同じサービスでも価格は上がるかもしれないし、「人より多く払うから、こっちを優先してくれ」という上位のお金持ちたちに独占されてしまうかもしれない。
これまで自分にはなかった視点が、説得力をもって展開されていて、不安を不安たらしめるのは、立ち向かうべき相手が見えていないせいなんだろうと、考えさせられた。暗闇に潜む敵は、実際以上に恐ろしく思えるものだ。
お金のことだけでなく、不安の多くは、実は自分がしがみついているということも多い。
「マインドフルネス」的にいうのなら、否定をせず、ただそこにあることに気づき、抱きしめていた手を自然と緩められるようになるといい。
