不確かなものより、確かなものを好むべきでは? なぜ脳は不確かな結果のほうに多くのドーパミン報酬を与えるのだろうか。
人間の脳はスマホ社会に適応していない、という内容で、なぜ隙あらばスマホを見てしまうのか? という最新のドラッグのようなスマホの実態に迫る。
「しまったな~」と思うのが、じゃあこれを読んでスマホ絶ちできるのかといえば微妙なところ。スマホ依存から抜け出すための本、というわけではないらしい。
スマホの恐ろしさだけ散々分かって「さあ、それで君はどうする?」と、肝心なところで突き放されそうな気がするのだが……
まあ「知る」ことは、「知らなかった」ときよりもずっと良くなっている、とは思うから、とりあえず読み切る。
今朝読んだところで興味深かったのが、スマホ依存に走らせる脳内物質ドーパミンの話だ。
人にしろ、ネズミや猿にしろ、快楽を与える報酬物質=ドーパミンは、絶対に報酬が貰えると分かっているときよりも、貰えるか貰えないか試してみるまでは分からないときのほうが多く分泌されるという。
報酬そのものよりも、報酬があるかもしれないという「期待」がドーパミンを出すと考えると、ギャンブルに依存してしまう理屈も分かる。
なぜドーパミンは、約束された報酬よりも、不確かな未来への期待を好むのか。そこには、人間に行動する動機を与える、という存在意義があるらしい。
「もしかしたら(何かあるかもしれない)」という期待が、スマホに広がるネットの海に駆り立てる。
逆に、もしスマホが絶対に報酬しか与えない神のような機器であれば、依存からは抜け出せる、ということか……?
少し前に新聞で読んだ記事に、数十年後にはスマホ普及率が「0%」になるという調査があった。それに代わる新しいテクノロジーが生まれているはず、というわけだ。
人間の脳はスマホにすら追いついていない事実を考えると、それは期待していい未来?