
無害で、心地よさすら感じていたノスタルジーという感情。
しかし、『ノスタルジアは世界を滅ぼすのか:ある危険な感情の歴史』(アグネス・アーノルド=フォースター著、 月谷真紀訳)の赤黒いカバーには禍々しい気配が漂い、「危険」という言葉に目が引き寄せられる。
いったい、ノスタルジーとは何なのか。安全だと思っていた感情に潜む「裏の顔」に好奇心が疼いた。
ノスタルジアとはなにか?
ノスタルジアという言葉が生まれたのは1688年。スイス人医師が考案したものである。
当時それは、戦地で傭兵を苦しめる「死に至る病」とされていた。故郷から強制的に引き離され、思い焦がれるあまり急激に衰弱していく疾患であった。スイスの乳絞り歌「キューエ・ライエン」は発症のきっかけになるため、演奏すれば死刑に値したという。のちに奴隷たちの間でもノスタルジアは広がり、深刻な問題とされていた。
現代の感覚では「ホームシック」や「うつ病」に近いものとして捉えたくなる。しかし本書は警告する。
もし今日の作家が近世のノスタルジアをうつ病、拒食症、あるいは精神症と再分類したら、その過程で何かを見失ってしまう。もし祖先の世界を私たちの世界に無理に押し込もうとすれば、彼らの病気と経験の手ざわり、豊かさ、機微をはぎ取ることになる。(中略)当時、ノスタルジアは病気だった。たとえ医学が今とは違っていたにしても、それは医学の領域だった。
本書の言葉を借りると「過去は異国」なのだ。過去を現在の尺度で断罪すると、その時代の手触りや機微まで失われる。昨今の芸能界のコンプライアンス問題を蒸し返す風潮に対する違和感とも通じるものを感じた。
ノスタルジーは医学的病であり、時に死と隣り合わせだった。そんな時代の、こんなブラックユーモアが目に留まる。
「妻に死んでほしくてたまらない」男はもっとずっと簡単に、「手を汚さず目立たず」望みを果たせる。「アフリカの空気」の中で数ヵ月過ごせばいいのだ。
ノスタルジアはなにが危険なのか?
やがてノスタルジアは病としての性格を弱め、文化や心理学の領域へ移った。しかし、決して無害になったわけではない。
今よりも優れていると見る向きもある遠い過去の時代に戻ることによって、現代生活から逃れたいという願望だ。この場合の過去は、良いことが起き、良い人たちが暮らす場所だった。こうした広告の目的は、消費者に「あわよくばその一端にあやかりたいと過去の栄光に浸らせる」ことだった。
懐かしさはビジネスの戦略として利用される。人は実際に体験したことのない「古き良き時代」を美化し、戦争や貧困などの凄惨な事実を見えなくしてしまう。
極端な例では、ヒトラーやナチスの一面だけを切り取り、美化してしまう、当時を知らない若者さえ現れる。そこにこそ危険がある。
武器になりうるノスタルジア
ノスタルジーは政治的な武器としても利用されてきた。
たとえば2016年、ドナルド・トランプの選挙戦のスローガン「アメリカを再び偉大な国に」。
演説で好んで使われた「再び(again)」「取り戻す(bring back)」といった言葉は、「古き良き時代」に帰りたいという願望と強く結びつき、民衆を熱狂させた。懐かしさは愛国心と容易に連動し、人を動かす力を持つ。
しかし現実には「古き良き時代」は美化したものの寄せ集めで、空想上の理想郷でしかないのだ。
ノスタルジアは希望であり毒であり、人を生かす力であり狂わせる力でもある
ノスタルジーはかつて死に至る病として恐れられた。傭兵や奴隷を“使い物にならなくする”その症状は、医学の中心的テーマでもあった。
現在は命を奪う病気ではなくなったが、過去を美化することで学ぶべき事実を見過ごし、良くも悪くも政治やビジネスに利用されている。
しかし、ノスタルジアがすべて悪ではないのも事実だ。懐かしさは生きる希望になるし、認知症ケアの現場でも有効に活用されている。
興味深かったのは、フロイトの熱心な信奉者でもあった精神分析家ナンドール・フォードルの説である。
彼は「戻れない場所に戻りたい」という願望を「子宮回帰」と結びつけた。ノスタルジアを患う人々は未来に理想を築くのではなく、かつて存在した、しかし絶対に戻れない場所へ向かおうとする。水に惹かれるのは、出生前の生活を夢見ているからかもしれない。
ノスタルジアとは、希望であり毒であり、人間を生かす力であると同時に狂わせる力でもある。
懐かしさの裏の顔は、予想以上に深淵だった。
