今週のお題「最近捨てたもの」
捨てると決めたら、はやかった。クローゼットのなかで雪崩を起こしていたモーニングページ含むノート類を資源ごみに出した。
個人情報、という部分でちょっと悩んだけれど、そもそも抜き取られてまずい内容は書いていないはずだし、自慢にもならないけど悪筆につき解読は難しいだろうと踏んだ。
念のため、雑誌や新聞に挟んでカムフラージュ(?)はして、とにかくぜーんぶ、捨てた!
ピカピカの部屋に持っていきたいかどうか
捨てると決めた理由は、引っ越しである。
ようやく新しく住む場所が決まって、さて何を持っていこうと考えたとき、クローゼットの中に詰め込んでいたものを、ピカピカの部屋に大移動させてまで持ち込みたいと思えなかった。
「もったいない」と捨てずにとっておいたものだけど、ピカピカの部屋を思うと持ち込みたくはないいらないものだった。
あればいつか読み返すかもしれないし、懐かしさに浸るかもしれない。けれど「未来の自分に本当に必要なものか?」と考えると、そうでもない。
捨てたことを後悔したとしても一瞬で過ぎ去る
引っ越しに際し、ノート類に限らず「売れるかな?」と浮かんだものはともかく手放すことに決めた。
夫が、推してたアイドルたちの写真をどうするか悩んでいる。自分のことは棚にあげて、「手放して後悔したとしても、それも一瞬のことだよ」と無責任に励ます。
けれどこれは経験則で、私も過去に推していたアイドルたちの生写真を「卒業!」といって手放したことがある。
ふと「惜しいことをしたな」と思ったこともたしかにありはしたけど、そんな後悔もあっという間に過ぎ去った。
(もちろん、夫のものを手放すかどうかは夫次第だ)
クローゼットの中は捨ててもいいものでパンパンだった
資源ごみとしてノートを縛ることは、想像以上に開放的だった。大切なのは毎朝書くことで、これからも書き散らかしたノートは潔く手放すことにする(創作ノートは除く)。
そして、ごちゃごちゃと物が詰まったクローゼットの段ボール。
新しい箱を用意して、いる・いらないを仕分けしようと思ったら、単に箱と箱の移動になって笑ってしまった(全部捨てるジャッジ)。
「新居に持っていきたいかどうか」という明確な基準のおかげで、いかに捨てたいものにあふれたクローゼットだったかを思い知った。
部屋の余白は心の余白、なんていうけれど、新居ではつねに新しいものを呼び込む余地のある暮らしができるといいな。