「普通」ってなにさ?

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

f:id:ma1190:20250125081042p:image

Kindleの年始のセールで購入した栗本薫の『あなたとワルツを踊りたい』を読み始めた。

思えば珍しくサンプルも読まず、“普通”の女性がストーカーの恐怖に襲われる戦慄のサイコサスペンスというあらすじと作者買いしたのだった。

物語は、その普通の(あらすじでは、平凡な)女性の一人称からはじまる。はづき、23歳。

「もしもしッ! いーかげんにしてよねッ!」 だれもいない真夜中にあたしの声が吸込まれた。 はづき泣いちゃうから!

 ちょっと恥かしいけど、自分の部屋だもん、誰も見てないんだからいいんだもん。 ユウキ、お休みなさーい。 コンサート、がんばってねー。 福永はづき、いつも応援してますッ。 お・や・す・みっ。

思い込みって、こっわあ。

あらすじを見たとき、どちらかといえば大人しそうな、地味めの女性を想像していて、この調子でひとつの長編を読みきれるだろうかと不安になった。

栗本薫は、名探偵・伊集院大介シリーズを何冊かと、去年読んでアタリだった『キャバレー』(本物の音楽知りたいと場末で働く美青年の物語)、『小説道場』1巻を読んでいて、栗本節ともいえる文章には慣れたと思ったのだけど、また新しい世界を開いた心境。書きなぐりのメモにひとこと「おもしれー女(栗本薫)」。

しかも、こんな能天気そう(失礼)な軽い文章で、書かれている内容はなかなかエグい。当時の女性たちは、さぞ生きにくかっただろうというのが想像できる。痴漢撲滅しろ。

物語は、はづきの一人称から、次にストーカー、はづきが熱烈に追っかけしている芸能人・ユウキに変わっていく。余談だけど、ユウキは女の子みたいにきれいなお顔立ちで、先輩の2枚目俳優からお尻を狙われています。

そして、問題のストーカーである。こいつ……呼ばわりしてしまうけれど、こいつの一人称はおぞましすぎる!

(もっと、毎日ちゃんとはづきちゃんを見ていよう)(もっと、何回も電波を送ったり愛の電話をかけてあげたりしなくちゃいけない) きっとまだ、それが足りないから、はづきちゃんは俺の存在に──いつもかたわらでじっとはづきちゃんを見守っている優しい俺のいることになかなか気がつかないのだ。

この気持ちが勝手にエスカレートして、はづきの言動にいちいち傷ついたり激しく怒ったりしているさまは、他人事ながらものすごい不快感を持たずにはいられない。

ただ、そればかりではないモヤモヤも感じるのは何故だろうと考えたとき、明らかに加害者側であるストーカーが、社会的に見るとヒエラルキー的には下層、ということに気がついた。

芸能人のおっかけをしている無邪気な彼女たちが、アイドルとパッとしない男性を比べては「同じ人間なのに」「可哀想」と悪意なくおしゃべりをする。彼女自身「あいつがストーカーかも」という話になったとき、「証拠もないのに決めつけはよくない」と同情的でさえある。

彼女にとっておぞましい加害者であるのに、存在そのものは、社会単位でみると弱い。にも関わらず、ストーカーの頭のなかは、とことん彼女を上から目線で見て、支配的で、現実と社会のねじれというか、歪みのようなものにモヤモヤとした気持ちになる。

ストーカー視点の長編サスペンスといえば、パトリシア・ハイスミスの『愛しすぎた男』がある。これを読んだときにも、救いがどこにもないような絶望を覚えたのだけど、この愛しすぎた男はしっかりとした定職もあり、何だったら異性から好意を寄せられるような人物だった。

今風でいうと、最初は「はづき構文」のパンチに面食らったけれど、すっかり続きが気になって仕方がない。週末の読書タイム、はじめまーす(土曜朝7:55)