
読書家のすべてが作家になるわけではない。けれど、書き手になりたいなら、たくさん読むことは必要条件だと思っている。
はたして「書くための読み方」なんて、あるんだろうか。創作に役立つ読書術なんて、本当に存在するの?
そんな疑問と興味から、『創作者のための読書術 読む力と書く力を養う10のレッスン』(エリン・M・プッシュマン、中田勝猛訳)を読んでみた。
最良の教本はよくできた作品そのもの
この本を読んでみて、ふと頭に浮かんだのは「よく書くためには、よく読むことだ」という言葉だった。
小説技法を解説する本は数えきれないほどあるけれど、結局のところ、最良の教本は“よくできた作品そのもの”なのだと感じた。
そして、“よく読む”とは、ゆっくり丁寧に読むこと。
面白い小説ほど勢いでページをめくってしまうけれど、そうした作品こそ、二度目にゆっくり読むことで、物語の仕組みやリズム、言葉の呼吸が見えてくる。
「書きたいからたくさん読んでいるのに、書けない」と悩む人にこそ、『創作者のための読書術』という1冊は、何かしらのヒントを与えてくれるはずだ。
「あなた」という二人称が生み出す安全地帯
本書で特に印象に残ったのは、「視点」の章だった。
「私」という一人称、「あなた」という二人称、「彼・彼女・人名」という三人称は、小説技法の基本であると同時に、物語と読者の距離感を決定づける大切な要素だ。
例として紹介されていた、カレン・ドンリー・ヘイズ『大学で学んだこと』のクリエイティヴ・ノンフィクションは、その好例である。
あなたは学ぶ。ビールの味は大嫌いだが一気に飲み干すことはできるということを、そして酒に酔うことは大好きであることを。
あなた=作者自身。大学の友人たちと始まったストリップゲームから逃れられない葛藤や恋の痛みを、二人称で描いたエッセイだ。
一人称なら痛々しく、三人称ならどこか他人事に感じられるエピソードが、「あなた」という二人称を採用することで、まるでレンズ越しに眺めるような距離感を読者と作品の間に生み出す。
二人称には、読者と物語の間に独特の“安全地帯”をつくる力がある。
目も耳も塞ぎたくなるような出来事を扱っていても、読者は安全な場所に身を置いたまま、深く共感することができる。書き手がどの視点を選ぶかには、必ず理由があるのだ。
創作のための読書は楽しむことと矛盾しない
「創作のために読む」と聞くと、純粋に本を楽しむ気持ちを損なってしまうのでは……と感じる人もいるかもしれない。
けれど、本書を通して思ったのは、創作のための読書は、“楽しむ読書”と矛盾しないということ。
大切なのは、自分のなかに問いを持ちながら読む姿勢だ。
これは、以前読んだ『知識を操る超読書術』(メンタリストDaiGo)にも通じていて、読書は受け身ではなく、能動的に考えることで記憶に残る。その感覚を、フィクションの世界にも応用できるのだと実感した。
読むことと書くことは地続きである

小説を書くためにおすすめの本とは、結局のところ「自分が面白いと思う作品」。そして、問いを持ちながら、ゆっくり丁寧に読むことが、創作の礎になる。
『創作者のための読書術』は、技術的で決して読みやすい本ではなかったけれど、自分なりに格闘してみることで、読むことと書くことは地続きであるという実感を得られた。
ちなみに『大学で学んだこと』をはじめ、作家のように読む練習として取り上げられている作品はどれも未訳で、ここでしか読めないのが惜しいほど粒ぞろい。巻末のリーディングリストに、一部長編を除き、全文掲載されている。
