いつもはとっくにブログを更新している時間を過ぎてしまう。今朝はやりたいことで忙しかった。
そんなこんなで12日目、12記事目のブログを書いている。これまでにブログについて考えたことをまとめてみたいと思う。
日記の温度感で書いてみる
手書きの日記的なものを5年近く続けていて、これだけ毎日書き続けられているのだから「ブログの毎日更新もできるのでは?」というのが開設のきっかけである。
日記はそもそも人に読ませるものではないけれど、ノートに閉じ込めるだけだった文章を発信してみたいという欲が出た。
●「っぽいな」と思うブログのイメージカラーをつけてみる
●「読みたいな」とそそられる記事タイトルについて考える
ほとんどの人は「自分に興味がない」けれど書かずにはいられない
ブログ運営に関する本を読むと、その多くは収益化するための内容で、雑記や日記ブログはあまり推奨されていない。誰が一般人の日常に興味あるねん? というわけだ。
しかしそもそも、人が書いて記録する根底には、誰かに読んでほしい、知ってほしいという思いがあるはずで、ブログはそのためにあっても良いと考えている。
いつか死んでしまうと知っているから、人間は記録への執念を抱いているんだろう。
日記はきわめて個人的な記録のように見えて、実は他者へ向かって開かれている。なにかの記録をつけるという行為自体が、自分以外のだれかとつながりたいという欲望の表明なのではないかと思う。
書きたい、読まれたい、繋がりたい。健全な欲求ではないだろうか。
「たくさん書こうとしない」「あえて言葉にすること」
ある日の新聞で読んだのだが、とあるメーカーがおこなったアンケート調査によると、日記を続けるコツとして「たくさん書こうといないこと」が最も多い回答だった。
空白を埋めなければ、いいことを書かなければ、という気負いがかえって日記との距離を生んでしまう。
もし何も書くことが思いつかなかったら、「何も思いつかない」と書いてほしい
ジュリア・キャメロン、菅靖彦(翻訳)『新版 ずっとやりたかったことを、やりなさい。』(サンマーク出版)より
日記はその字のごとく日々の記録なわけで、量でも内容でもなく、ありのままを書けばいいのだ。
そして、どんなにちっぽけだと思うことでも、自分のなかだけで消化せず、「あえて言葉にすること」。
少なくとも世界と自分を繋ぎ止め、さざ波を起こしてどこかの誰かには届くかもしれない。
「人に読んでもらう」意識を忘れないこと
気軽に発信できる時代だからこそ、その先に自分とは違う誰かがいることを忘れないようにしたい。とはいっても、個人的に考える物差しは単純で、実社会でも面と向かって発言できる内容か否かである。
また、作品推敲の話ではあるのだけど、三浦しをんのエッセイに、“自作(文章)”を“庭”に例えたうまい説明がある。
推敲が行き届いていない原稿は、草ボーボーの庭みたいなものです。その庭を見せられて、「私が愛をこめて作り上げた庭です」と言われても、「おまえの愛はなんかまちがっとるぞ! ヤブ蚊に刺されてかゆいわ!」ということになります。
三浦しをん『マナーはいらない 小説の書きかた講座』(集英社)
せっかく愛して作り上げた文章(庭)なのだから、人の目も意識しないともったいないじゃありませんか、というわけだ。
ブログや日記の上達(?)は書き続けるに限る
いろいろと書いてきたけれど、結局ブログ運営や日記を続けるコツに正解なんてものはなく、上達も継続日数も書き続けるに限る。運動して食べすぎなきゃ痩せるのと同じだ。
そう思うと、目標なんかあるのもいいなー。
それはおいおい考えていくとする。